本展について
出土遺物を美的に愛でる視点はいつから芽生え、一体いつから出土遺物は美術作品のなかに登場するようになったのでしょうか。戦後、岡本太郎やイサム・ノグチによって、それまで考古学の資料として扱われていた出土遺物の美的な価値が「発見」されたというエピソードはもはや伝説化しています。「縄文vs.弥生」というきわめて分かりやすい二項対立の語りは、1950年代半ばに建築・美術にかかわる人々の間でいわゆる「伝統論争」に発展しました。しかし、近代以降、地中から掘り出された遺物に着目した人物は彼ら二人にとどまりません。出土遺物は、美術に限らず、工芸、建築、写真、映画、演劇、文学、伝統芸能、思想、さらにはテレビ番組にいたるまで、幅広い領域で文化現象を巻き起こしてきました。
なぜ、出土遺物は一時期に集中して注目を浴びたのか、その評価はいかに広まったのか、作家たちが遺物の掘りおこしに熱中したのはなぜか——本展は美術を中心に、文化史の舞台に躍り出た「出土モチーフ」の系譜を、明治時代から現代にかけて追いかけつつ、ハニワや土器、土偶に向けられた視線の変遷を探ります。歴史をひもとき、その複雑な機微を知ることで、私たちの足下に積み重なる文化的・社会的な「地層」が浮かびあがってくるでしょう。
ポイント
- ハニワ・土偶ブームの裏側、掘りおこします
きっと誰もが子どもの頃に出会い、身近な存在として親しんできたハニワや土偶。それらが歴史教科書の冒頭に登場するようになったのは、実は遠い昔のことではなく、「芸術」として語られるようになったのも近代以降のこと。美術品を鑑賞しながらハニワ・土偶ブームの裏側が見えてくる、一粒で二度おいしい展覧会です。
- 考古図譜から
マンガまで本展の大きな特徴はとりあげる時代とジャンルの幅広さ。出土品を克明に描いた明治時代のスケッチから、果てはマンガまで。ハニワと土偶があらゆる文化に連なっていることを知ると、美術館を出た時、景色が少しだけ変わってみえるかもしれません。にぎやかな展示にご期待ください。
- ハニワと土偶のメガネで未来が見える
遺物をめぐるブームにはいつも容易ならぬ背景があり、今後もきっと繰り返されるでしょう。本展は過去の回想に留まらず、これから起こり得ることの示唆にもなるはずです。古から未来が掘り出される!
東京国立近代美術館、出土遺物を展示していました。
「現代の眼―日本美術史から」展(1954年)
初の近代美術専門の国立美術館として開館したはずの東京国立近代美術館ですが、開館2年目にして日本の古美術だけの展覧会を開催しています。「現代の眼」の働きかけによって日本の古美術から新しい美を抽出する、という狙いでした。現在の建物を設計した建築家の谷口吉郎がディスプレイを担当しています。展示のハイライトは、ハニワの群像のインスタレーション展示。近代美術館の歴史の地層からは「近代彫刻を見るような眼」でもって「ハニワを見せた」という意外な過去が発掘されます。
「縄文vs.弥生」ではなく、
「原始美」発見でもない
視点から深掘ります。
「縄文的/弥生的」という分かりやすい二項対立。それぞれアイコンとなったのが、岡本太郎とイサム・ノグチでした。この二人の「東と西の越境者」が「原始の美」を発見した、というのが美術史の定説でもあるわけですが、はたして本当にそうなのでしょうか。本展では、(いわゆる西洋美術でいうところの)「プリミティヴィズム」移入説とは異なる方角から、その深層を掘りおこします。
なぜ「土偶とハニワの近代」
ではなく、
「ハニワと土偶の近代」?
製作時代順でいえば縄文時代の土偶が先で、古墳時代のハニワが後ですが、あえて展覧会タイトルをこの順番にしたのは理由があります。本展における「発掘現場」は近代以降の美術と美術館です。近代の美術作品や美術展に登場するのは、圧倒的にハニワの方が早く、どうやら近代においてはハニワ•ブームが先んじて巻き起こり、その後を追いかけるように土偶(縄文)ブームがやってくる、という傾向がみられるのです。この「逆転」現象の謎を掘りおこしていきましょう。
開催概要
- 報道関係問い合わせ
- 「ハニワと土偶の近代」広報事務局(共同PR内)
- E-mail haniwadogu-kindai-pr@kyodo-pr.co.jp
- TEL 03-6264-2382
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