作品紹介
序章
好古と
考古 ―愛好か、学問か?
「古を好む」―古物を蒐集し、記録し、その魅力を伝える「古物愛好」は近代以前も存在し、江戸時代後期には「好古家」と呼ばれる人たちが活躍しています。一方、明治の初めに西洋のお雇い外国人たちによって「考古学」がもたらされました。序章では「好古」と「考古」と「美術」が重なりあう場で描かれた出土遺物を紹介します。描き手の「遺物へのまなざし」を追体験しつつ、「遺物の外側に何が描き込まれているか」にもご注目ください。「異」なるものが交じり合う、近代の入り口付近の地層が浮かび上がってくるでしょう。まずは古と近代が出会う違和感をお愉しみください。
ミノムシみたいに生活用具一式をかついで全国を放浪し、遺物を自ら発掘、蒐集していた蓑虫山人。
土器や土偶を中国の文人画風に茶道具や植物とともにレイアウトした図が、「好古」の愉しみを伝えます。
1章
「日本」を
掘りおこす ―神話と戦争と
近代国家形成において、ハニワは「万世一系」の歴史の象徴となり、特別な意味を持つようになりました。各地で出土した遺物が皇室財産として上野の帝室博物館に選抜収集されるようになると、ハニワは上代の服飾や生活を伝える視覚資料として、歴史画家の日本神話イメージ創出を助ける考証の具となります。考古資料としてではなく、ハニワそのものの「美」が称揚されるようになるのは、1940年を目前にした皇紀2600年の奉祝ムードが高まる頃――日中戦争が開戦し、仏教伝来以前の「日本人の心」に源流を求める動きが高まった時期でした。単純素朴なハニワの顔が「日本人の理想」として、戦意高揚や軍国教育にも使役されていきました。
明治天皇の伏見桃山陵造営は、近代の人々が初めて経験した復古的大事業でした。
「ハニワ製作中」の場面は、遠い古を描きつつ、つい先日の出来事と重ねて見ることができる時事的な主題でもありました。
ハニワの格好?
- 蕗谷虹児
- 《天兵神助》
- 1943年
- 新発田市
神話世界を古墳時代の風俗で描くことは、古事記・日本書紀が聖典とされた戦時下の特徴。本作は戦意高揚を促した航空美術展の出品作。
スポーツ!
- 日名子実三
- 《第7回明治神宮体育大会メダル》
- 1933年
- 個人蔵
- 日名子実三
- 《全日本軍用保護馬継走大騎乗メダル》
- 1940年
- 個人蔵
スポーツとハニワは縁が深い。なぜなら、土師部の祖・野見宿禰は相撲の神様だから。あらゆるスポーツ競技大会のメダルにハニワが登場します。旧・国立競技場の壁に野見宿禰のレリーフが飾られていたこと、知っていますか?
2章
「伝統」を
掘りおこす ―「縄文」か「弥生」か
1950年代は日本中の「土」が掘りおこされた時代です。敗戦で焼け野原になり、その復興と開発のためにあらゆる場所が発掘現場となりました。考古学は、実証的で科学的な学問として一躍脚光を浴びるようになります。出土遺物は人々が戦争体験を乗り越えていく過程において、歴史の読み替えに強く作用した装置といえるでしょう。対外的な視線のなかで「日本的なるもの」や「伝統」への探求が盛んに行われたのは、自国のアイデンティティ再生という内発的な動機のみでは語ることのできない、複合的な理由を含むものでした。コンクリートやアスファルトに置き換えられていく風景の中で、「土」の芸術はどのような意味をもったのでしょうか。
- イサム・ノグチ
- 《かぶと》
- 1952年 一般財団法人 草月会(千葉市美術館寄託)
- ©2024 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS, NY/JASPAR, Tokyo E5599
戦前の来日時、京都の博物館で見て以来、ハニワ好きを公言していたイサム•ノグチ。「かぶとをぬぐ」(降参する)という慣用句がありますが、これは「脱ぎ捨てられたかぶと」?
- 岡本太郎
- 《犬の植木鉢》
- 1954年
- 滋賀県立陶芸の森陶芸館
言わずと知れた縄文の「発見」者、岡本太郎。ただし彼のもたらしたインパクトは、遺物そのものへの着目よりも、「縄文か弥生か」という対立概念の提案にこそありました。
じつは …
- 桂ゆき
- 《人と魚》
- 1954年
- 愛知県美術館
コラージュや戯画を駆使して戦前から先端を走り続けた画家の桂ゆき。魚と組み合わされたユーモラスな顔は、じつは縄文時代の顔面把手付き土器が元になっています。
- 斎藤清
- 《土偶(B)》
- 1958年
- やないづ町立斎藤清美術館
- ©Hisako Watanabe
ハニワ派でもあり、土偶派でもある斎藤清は、国立博物館ニュースの題字デザインを手掛けた人。木目の素材感を生かしつつ、すっきりモダンな斎藤の木版画は、アメリカで人気を博しました。
3章
ほりだしに
もどる ―となりの遺物
考古学の外側でさまざまに愛でられたハニワや土偶のイメージは、しだいに広く大衆へと浸透していきます。特に1970年代から80年代にかけてはいわゆるSF・オカルトブームと合流し、特撮やマンガなどのジャンルで先史時代の遺物に着想を得たキャラクターが量産されました。それはまた、縄文時代や古墳時代の文化は「日本人」のオリジンに位置づけられるという自覚を、私たちがほとんど無意識のうちに刻み込まれているということでもあります。本展は、そのような自覚をあらためて“掘り出す”ような現代の作品によって締めくくられます。「ハニワと土偶」という問題群は、地中のみならず、私たちのすぐ身の回りに埋蔵され、確実に今日へと連なっているのです。
- NHK「おーい!はに丸」
- 1983-1989年放送
- (左)ひんべえ (右)はに丸
- 1983年 劇団カッパ座
ハニワの王子「はに丸」と馬の「ひんべえ」が現代の言葉を学ぶという幼児向け教育番組。はに丸が飛び出てきたのは、画家のおじさんが描いた「家形ハニワの絵」からでした。
- タイガー立石
- 《富士のDNA》
- 1992年
- Courtesy of ANOMALY
作者の若い頃の自画像を取り巻くのは、かつての自作の数々。
立石のトレードマークたる富士山の図の横に、逆さまの土偶が並んでいます。
「縄文人の末裔」という意味合いでしょうか。